夢二『長崎十二景』はがきセット

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夢二「長崎十二景」はがきセット
6枚入りセット定価600円(税別)
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【「長崎十二景」について】
竹久夢二は1918年(大正7)8月に次男不二彦をつれて
長崎 に旅行した。以前から手紙をやりとりしていた
長崎の永見 徳太郎を頼っての旅だった。

異国情緒を求めての長崎旅行 は夢二の創作意欲を刺激して、
2年後1920年に結実したの が「長崎十二景」である。
夢二はこの作品を永見へのお礼 として贈呈した。

永見の回想では、夢二の想像力をこわし てはいけないと配慮、
「質問以上は答えなかった」という。

十二景のテーマは史実に忠実とはいえないが、夢二のとら えた
「長崎のイメージ」が自由な発想で描かれている。

竹久夢二のプロフィール
1884年(明治17)岡山県邑久郡本庄村で生まれる。
本名は茂次郎。家は造り酒屋。
1901年(明治34)17歳の夏、家出して上京。
翌年(1902)早稲田実業学校に入学。
1905年(明治38)3月早稲田実業学校本科卒業し、
4月専攻科に進むが中退。夢二と名乗る。

1906年(明治39)早稲田鶴巻町でエハガキ店「つるや」を
開店した岸たまきと出会う。1907年(明治40) たまきと結婚、
1908年長男虹之助誕生。雑誌挿絵画家として人気作家に。
1909年(明治43)たまきと協議離婚したが、1911年次男不二彦、
1916年3男草一誕生。

1914年(大正3)日本橋に開いた「港屋絵草紙店」に来店した
笠井彦乃と出会う。1917年(大正6)彦乃と京都に移り高台寺近くで同棲。
「宵待草」が大人気、音楽にも。
1918年(大正7)彦乃は病で東京に戻り入院、夢二は次男不二彦を
つれて長崎へ旅行。1920年(大正9)「長崎十二景」を制作、
長崎の豪商永見徳太郎に贈る。彦乃病没。

1921年(大正10)モデルお葉と渋谷で所帯をもつ(6年後に離別)。
1926年(大正15)海外旅行を希求するが実現せず。
翌1927年都新聞に自伝「出帆」連載。

1931年(昭和6)初めて渡米。滞米1年3カ月で欧州へ。
ドイツ、チェコ、オーストリア、フランス、スイスなどを巡り
1933年(昭和8)ナポリを発ち神戸に帰国。
1934年(昭和9)49歳11カ月で逝去。墓地は東京雑司ヶ谷霊園。
 
夢二の生涯は多彩な女性遍歴をエネルギー源として挿絵画家として
大成したといえる。